すい臓がんで亡くなった祖父が導いてくれたもの

13-分析しよう

情報整理に過敏なぼくにとって
長年の悩みの種だったブログのカテゴリ分け。

その答えが最近固まってきた。

そのきっかけには、
美濃焼の絵付師でありアーカイブフリークの祖父の死があった。

というのが前回の記事

なぜ祖父の死がブログのカテゴリ分けに?

たぶんブログ1日分では繋がらないので、
少し気長に構えていてほしい。

必ず繋がります。

余命宣告を受けたときどう感じたか

祖父はがんだった。

それもすい臓がん。

「最も恐ろしいがん」の一つといわれているらしい。

膵臓がんは、がんと診断されてからの5年生存率が他の部位のがんと比べて格段に低い。大腸がんは72.2%、肺がんは27.0%。膵臓がんは、なんと7.9%だ。
この数値から、膵臓がんは治療でも生命を救い難いがんであり、膵臓がんはあらゆるがんの中でも最も生存率が不良である。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagitaemmy/20180106-00080163/

父から祖父の診断結果と余命宣告を聞いたとき、
悲しいというよりも「とうとう来たか」と思った。

昔から祖父の死が怖かった。

死に目に会えないかもしれないから海外移住はできない、
海外旅行もできれば避けたい、
と思うくらいに。

それだけ愛情を注がれたし、
自分が絵を描くのは彼の遺伝子を引き継いでいるからだ
という自覚があった。

そんな祖父が死ぬ。おそらく半年以内に。

その時すでにぼくは父親になっていた。
妻と子と、最優先で大切にするものが目の前にある。

そのせいなのか、思っていたほどの衝撃は受けなかった。

「とうとう来たか。いずれ必ず来ることだしな」

やけに冷静だったと当時の日記にも書いてある。

結果的に、余命宣告から2年ほど長く生きた。

それだけで良かったなと思っていた。

彼ほど「幸せ」「嬉しい」「ありがとう」
を頻繁に口にする人は僕の周りにはいなかったから
たぶん満足して逝ってくれたと思う。

しっかりと送ることができたし、
無償の愛をたっぷり注いでくれた祖父のためにも
気持ちを切り替えて仕事も育児もがんばって、
祖父のような愛される人間になろう。

でもやっぱりそう簡単にはいかなかった。

ぼくはそれから半年、
生涯でいちばん辛い時期を過ごした。

僕を苦しめたのは祖父の死に対する悲しみ

ではなかった。

自分の生き方を1から考え直させる、
生きる意味を問い詰められる、
歩んできた道を全否定される、
そういう類のものだった。

でもそれを乗り越えることができた。

おかげで今ぼくはこの文章を書いているし、
ブログのカテゴリ分けで悩むことがなくなった。

それは今後書いていくつもりの、
自分の人生ですべきことへの確信に繋がっている。

その意味であの苦しみは、
クリエイターである祖父からの最後のギフトだったのだ。

知人に勧められた、がんに関していま最もエビデンスのある情報をまとめた一般書。数少ない症例を根拠にした民間療法に警鐘を鳴らす。読んでおいて損はない。

タイトルとURLをコピーしました