罪悪感をガソリンにして生きてきてしまった

13-分析しよう

昨年11月、長年恐れていた祖父の死がやってきた。

当初はすんなり受け入れられた気がしていたが、時間が経つにつれてぼくの心に大きな変化が起こっていることに気づいた。

ぼくはそれから半年、
生涯でいちばん辛い時期を過ごした。

僕を苦しめたのは祖父の死に対する悲しみ

ではなかった。

自分の生き方を1から考え直させる、
生きる意味を問い詰められる、
歩んできた道を全否定される、
そういう類のものだった。

https://yosukey.jp/2020/06/05/1126

前回の記事で書いた。

具体的にどう辛かったのか?

はじめは何が原因なのか全く分かっていなかった。

ただずっとイライラして、嫌なことばかりに目がいく。
仕事も育児もなんとかやっていたけれど、ギリギリのところでいつ爆発してもおかしくない状況だった。

そんなときに妻からある指摘を受ける。

妻からの指摘
おじいちゃんに成果を見せて喜ばせるために東京で頑張っていたんじゃないか
そのモチベーションが切れてしまった状態なんじゃないか

2019/12/03 日記より


その瞬間はそういうこともあるのかも、くらいに聞き流した言葉だった。
だけど時間が経つにつれて、重要な指摘なのでは、と思うようになった。

祖父はいつも、ぼくを見守ってくれていた。
電車が好きだと言えば線路沿いに連れていってくれて行き来する電車を延々と見るのに付き合ってくれた。
テレビゲームをやりはじめたと知ると、わからないなりに新しいゲームソフトをプレゼントしてくれた。
そして野球をやり始めると、毎回のように応援に駆けつけてくれて、いっしょに一喜一憂してくれた。

そんな祖父を置いて、ぼくは自分のやりたいことのために東京に出てきたのだ。

ぼくの世代以上の、地方から何かしらの夢や志を持って上京してきた人には共感してもらえるかもしれない。

ぼくが作ったアニメーションがテレビで流れるよ

今度挿絵を描いた雑誌がそっちの書店でも買えるよ

誰でも知っているあの企業の広告をやってるよ

そういうわかりやすい「成果」を示すことで、自分が遠い場所に来たことを正当化してきたのではないか。

罪悪感を拭うように、仕事をしてきたのではないか。

ぼくは罪悪感をガソリンに、あらゆる行動と選択をしてきたのだった。合理的な判断ではなく、より苦しい方、足掻ける方を選択する思考になっていた。

そのことを自覚したのは、
祖父の四十九日の日だった。

四十九日までは、故人の魂の行先が決まっておらず、現世とあの世の間をさまよいながら、7日ごとに閻魔大王ら十王によって裁かれ、その裁きの7回目、七七日(なななぬか)すなわち四十九日に最後の裁きが下され、あの世の決められた行先に向かって旅立つ日とされています。

https://www.mosyu.net/sijyukunichi_imi.html

そのとき、あらゆることを見直すべき時だと悟った。

自分の人生でほんとうにやるべきことについて、考えよう。

そう思ったのだった。

これは改めて記事にしたいが、贈与とはどういう性質を持つのかについてとても明確な定義を教えてくれた。ぼくは受け取り過ぎていると感じていたのだ。贈与それをどういう形で返していくのか。(もう、直接祖父に返礼はできない)その答えの一つが書いてあった。

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