毎日こどもたちの写真や動画を撮っていてふと思ったんですが。
もしインターネットにつながっているすべてのデータをひとかたまりに考えるなら、この子たちは自分以上に自分のことを知っている存在と生きていくことになるなと。
googleマイアクティビティ
googleアクティビティって見たことありますか?
googleアカウントを持っていれば誰でもアクセスできます。検索履歴とか位置情報とか自分の行動履歴が記録されています。
特にAndroidユーザーは位置情報を基本ONにしてたら驚くほど詳細にロケーション履歴が残っているはずです。(長時間滞在している場所は店まで検知して特定されたりしてます)
記憶の概念が変わるかも
別にこれが怖いとか言いたいわけじゃなくてむしろ、自分が忘れてしまうようなことまで完全に記録されてる外部装置がある場合、人間はどんなふうになっていくんだろうってのがめちゃくちゃ気になるなと。
特に幼少期の記録が詳細に残っているってのがデカい気がします。本来ほとんど自分では忘れるものですから。
僕らの世代は写真やビデオが若干残ってて、それを自分が見た光景ってことに記憶の置き換えが起こってたりする。
これが詳細に残っていていつでも使えるんだったら、それはもう「覚えている」ことになるんじゃないかなーとか。そうなったらもちろん「勉強は暗記」って概念は完全になくなるだろうし、記憶の共有にまで至ればいよいよSFみたいになってきますね。
暮らすってなに会議ってのはこういうことを悶々と考えるための場です。
そういうのが好きな人を「会議」っていうことにして集めたいんですよね。
今日の参考図書
よくわかる人工知能 最先端の人だけが知っているディープラーニングのひみつ
清水 亮
天才プログラマーが人工知能の研究者と対談して最先端の人工知能研究をつまみぐいする感じの本です。対談なので読みやすいし、どの研究もすごく面白い。中でもびっくりしたのは「受動意識仮説=意識は起きたことに後付で辻褄を合わせる存在に過ぎない」ってやつです。これだけでも読む価値あり。「運動準備電位」でググってください。
あなたの知らない脳──意識は傍観者である
デイヴィッド・イーグルマン
上の受動意識仮説に近い話。「虫の知らせ」を科学的に証明した実験とかが載ってます。こういった本を読むと、無意識でさえコントロールできないんだから、外部に記憶が残っていたとしてもうまく使いこなせるかはわからないかも、とも思っちゃいますね。