こんにちは、雨本です。
昨日は野球と暮らす2日目。初日を上回る人数の方にご来場いただきました。
そんな中で文章化できた思いがあるので共有します。
タイトルの答えを言えば、「『野球と暮らす』は料理ではなく器(うつわ)だから」です。
気づいたら来場者自身の話に至る
大きな展覧会に比べたら、来場人数の桁は3つ4つ違います。
でもそのぶんひとりひとりの方とじっくりお話ができます。
展示の内容をご説明差し上げると、たいていお客さん自身の話に至る。それを聞くのが僕はとても楽しいです。
雑誌の記事やウェブサイトのプロフィール文は必ず読んじゃう。その人がどうやって今に至っているのかを知るのがとても好きです。
おそらくそれは僕が物語が大好きだからだと思います。
そして野球が好きなことと繋がっています。
野球は読むスポーツである
野球はただボールを打って投げてではない、その行為の背景を読み取るスポーツです。行為者が誰かによって、プレーから受け取る印象は全く異なる。
代打でヒットを打つ場面を例にすると、
- ずっと控えだった選手
- 調子を落としてレギュラーの座を譲った選手
- 代打の切り札としてそればかり練習してきた選手
同じヒットでも、意味がかなり違ってきます。
選手の過去込みでその打席、投球を見る。
野球の魅力はその物語性にあると思います。
だから野球グッズの主流が選手をフィーチャーしたものになるのはある意味で必然です。
もし野球に興味のない人に説明するなら、好きなテレビドラマやアニメの登場人物ごとのグッズだ、と想像してもらえばわかりやすいかもしれません。物語はキャラクターに感情移入させることで駆動します。
『野球と暮らす』のイラストが無表情である理由
『野球と暮らす』のイラストは、その物語性をあえて排除しています。
暮らしの主役は受け手だからです。
顔の個性と表情をすべて同じにすることで、野球のアクションと身体性にフォーカスします。
そうすると、観る側の物語をそこに重ねることができるのです。「この絵、自分のこどもに似ている」「あの選手に似ている。現地でみたあのホームランすごかったなあ」「サウスポーが大好きだからついそれに目がいっちゃう」感想は人によってかなり違います。
いわば、野球という器を準備して、空のまま鑑賞者(グッズでいえば使用者)にわたす。そこに何を盛り付けるかは受け手次第なのです。
そういった理由もあってか、この展示会は僕にとって、お客さんの物語を聞く場でもあることに気づきました。
今日もお待ちしてます
とはいえ、もちろん自分のことを話したくない方やただ静かに鑑賞したい方に無理強いは決してしません笑。あくまでこれまでは、自然な流れでそうなる傾向があるだけで。
ショルダーバッグとタイポグラフィーが大変好評です。
ショルダーバッグはほぼ品切れ。
タイポグラフィーは他にどんなことに使うかいろいろ想像してわくわくしています。
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